受験生へ
頑張れ、なんて言わん。
胸張っていけよ!
そう言いたい。
君らほど、自分の人生に対して本気で向き合っている人種はいないんだから。
今がどんな状況でも、今後たとえどんな結果になったとしても、君たちはそれぞれのやり方で立派に戦っている。
胸張っていけよ!
初対面の人と会話が弾まない人へ
こんにちは( ´ ▽ ` )ノ
私事ですが
この前、ついに、生徒を叱ってしまいました。
叱ってしまったというのがもはや表現として間違っているかもしれませんが…
やはり気分の良いものではありませんね(´ー`)
ただこれ以上叱らずに放置していたらもっと悪い事態になってたと思うので…うーん…
回回回回回回回回回回回回回回回回回回
さて、今回のテーマは、
「会話を弾ませるのが苦手な方へ」
です٩( 'ω' )و
挨拶ぐらいならできるけどその後の話がなくて、
しーん…
この沈黙、気まずいですか?
そんな会話下手な方々に是非おさえておいてもらいたいポイントがあります
それは、
沈黙を怖がらないことです
会話ベタな方って、無理して話を続けようとする人が多いです
でもそういう時って、あまり話題とか浮かんでこないんですよね_(┐「ε:)_
浮かんだとしても、無理に思い出した話題なので、自分が本当に相手に話したいと思える話題ではなく、つまらない会話になってしまうことが多いです(´Д` )
では会話を弾ませるにはどうすればいいか。
少し勇気がいりますが、
黙りましょう。
どこか遠くを見ながら、ぼーっと黙りましょう。自分の考え事にふけりましょう。
「それ会話弾んでねーじゃん」
って思いますか?
確かにこっちが黙っていて、相手も喋らなかったら会話は無くなりますね。
でも、それでいいんです。
話したいことがなかったら黙ってる方がマシなんですよ
会話ベタな方には「会話が弾む」という言葉の意味を勘違いしている人が多いと思います。
「会話が弾む」ことと、「会話が途切れない」ことは、全く違うことです。
たまにいらっしゃるんですよね。
会話が途切れるのが怖いのか、次から次へと、大して面白くもないし、喋ってる本人も楽しくなさそうな話題を繰り出す人。
こういう人と話すとき、僕は極力その話題についていこうと頑張りますが、
とにかく疲れます
はい。沈黙に耐えられない人との会話はとにかく疲れます。
こういう会話って確かに「途切れはしません」が、終わった後疲れます。
_(┐「ε:)_
まとめ
「弾んだ」会話というのは、
終わった後「楽しかった」と思える会話です
そのためには、
無駄な話題を話すのはやめましょう
あなたが本当に目の前の人に「話したい!」と思うことを話しましょう
٩( 'ω' )و
「話したい!」と思う話題がない時ももちろんあるでしょう。
そんなときは黙りましょう。大丈夫。
相手の前でぼーっと黙ってリラックスした状態で考えれば、無理して考えるよりも「あなたが本当に話したいこと」がポッと出てきますから。
もしなくても、そういったリラックスした状態を相手に見せれば、相手も自然とリラックスできます。
そうすれば、今度は話し相手の方に、「あなたに話したい!」と思う話題がポッと生まれるかもしれません。
沈黙を怖がらないで
沈黙は会話の中の小休止です
今日のところはこれぐらいで勘弁してやろう ←(´Д` )
ではまた( ´ ▽ ` )ノ
優しさか、媚びか
私事ですが大学二回生になって、先輩になりました٩( 'ω' )و
サークルの後輩がかわいい(^ω^)
後輩たちが楽しそうに練習しているのを見るとワシは…( ;∀;)
このサークルは僕の宝物です。
回回回回回回回回回回回回回回回回
さて、今日のテーマは
「優しさか、媚びか」
です。
「優しさ」と「媚び」
この2つの違いを理解できてない人って、僕からするとかなり残念な人だな、と思います
…まぁ僕もちょっと前までその残念な人のうちの一人だったんですけど ←(´Д` )
さて、ではこの2つの違いはなんなのか。
これ説明するの難しいなぁ…(^ω^)
ポイントは、
「相手のことを想っているかどうか」
です_(┐「ε:)_
例えば、女の人が重たそうな荷物を持っているとき、男の人なら当然「僕が持とうか?」と言いますよね?(←決めつけ)
その時に、気持ちが大事なんです
気持ちというのは、言葉に出るし顔に出ます。
あなたが「荷物持とうか?」と言った時、
あなたが本当に「重たそうだな、僕が代わりに持ってあげたら楽だよな」と想っていたなら、
それは優しさです。
逆に、
「ここで荷物持ってあげたら、好感度高いだろうなムフフ」
って思っていたのなら、それは顔に出ますし、声に出ます (´ー`)
人はこのような打算的な意図を敏感に感じ取る生き物だと思います。
なのですぐに勘付かれます(´Д` )
「こいつは優しさで行動したんじゃないな、自分のために行動したんだな」と。
こういうのってすごくカッコ悪いです。
まあ僕もこういう時期があったのは確かですが、今思い出しても顔が赤くなってしまうほど恥ずかしい思い出ですね_(┐「ε:)_
まとめ
優しさと媚びは紙一重です。
優しさと媚びの違いは
「相手を想っているかどうか」
なので、あなたがその人に、
心から「してあげたい」と思える
そんなことを実践することこれだけが「優しさ」です
その他は全て優しさに見せかけた自己満足と言えます。
そう考えると、真の意味で「優しい人」というのは、
何事に関しても、誰に関しても、心から「これしてあげたい」「あれしてあげたい」と思える
そんな人なんだろうな、と思います。
次回は「自分の発言に責任を持つこと」の記事の続きみたいなのを書こうと思ってます
٩( 'ω' )وガンバル
ではまた( ´ ▽ ` )ノ
承認欲求を否定しよう!
今回のテーマは「他人の目を気にしてしまう方へ」関連のテーマですね。
「承認欲求を否定すること」
です
最近また他人の目が気になるようになってきました(´ω`)
どんどん悪い循環に陥っていくような気がして、僕は再び「聖典」を手に取りました
「嫌われる勇気」です
本当に不思議なんですが、読み返すごとに新しい発見があるような、そんな感覚のする本です。
名著ってこんな感じなのかな、と思ったり_(┐「ε:)_
話が逸れましたね。
僕の場合は電車の向かい側の人の視線が異常に気になります
変な奴だと思われてるんじゃないか、とかめちゃくちゃ気になります
「ちゃんとしていないと」と、
姿勢を正してみたり、顔を引き締めてみたり…
めちゃくちゃしんどい_(┐「ε:)_
一人で勘違いして自滅してるだけなんですが…
ここで注目して欲しいのが、
僕が何の面識もない他者から、この人は「ちゃんとした人だ」とか「かっこいい」とかいう、
評価を得ようとしてるという点です。
これが他者から承認されたいと願うこと、
「承認欲求」なのです
「承認欲求」は人間の本能的なものです
つまり人間は気を抜くと知らない間に承認を求めてしまうということです。
しかーし
行き過ぎた承認欲求に従って生きるというのは、僕がいい例ですが、
とても疲れます。
全然関係のない人にも
「自分はちゃんとしているんだ」
と見せようとするため、
常に気が休まりません。
なので皆さん、特に、関係のない他人の目すらも気にしてしまう皆さん、
「承認欲求」を無視しましょう٩( 'ω' )و
「人にだらしないとこ見せましょう」
電車でダランと座って見ましょう
最初はちょっと怖いですが、何となく爽快感がありますよ。
まとめ
承認欲求は人間の本能的な欲求です。
でも承認欲求に縛られた人生では幸せになれません。
常に気を抜かず、承認欲求を無視してやりましょう٩( 'ω' )وガンバル
他人から変な奴だと思われながらも自由に生きる人生か、
他人にちゃんとしてると思われたいという欲求でがんじがらめの人生か、
どっちがいいかは自明でしょう。
あとはあなたの「勇気」だけです。
僕も頑張ろう…
ではまた( ´ ▽ ` )ノ
「嫌われる勇気」(ダイヤモンド社出版 岸見一郎、古賀史健 著)
自分の発言に責任をもつこと
できるかできないかじゃない、
やるかやらないかだ
これを思いついたとき、結構ワクワクしたんですが、検索してみたらかなり有名な名言でした( ´_ゝ`)
…ちなみにこれ、最初に言った人は誰なんでしょうね?
回回回回回回回回回回回回回回回回回
さて、今回のテーマは、
「自分の発言に責任を持つこと」
です٩( 'ω' )و
これ、無意識に避けてる方、結構多いと思いますよ(´ー`)
ある日、僕の友達(男)とのやりとりでこんなのがありました。
僕 「今度のゴールデンウィーク野球観戦行こうぜ」
友達 「うーん、行けるんちゃうかな」
僕 「ゴールデンウィーク予定空いてるんやろ?」
友達「うん」
僕 「じゃあ行けるやん」
友達 「まぁ、行けるんちゃうかな」
うーん、ハッキリせいヽ(´o`;
責任を避けるというのは具体的にはこんな感じです。
読者の皆さん 「え、どんな感じ?」
こんな感じです (^ω^)
読者の皆さん 「は?」
…(⌒-⌒; )
つまりですね、
「行く!」と明言しない、したくないというのは、
「行く!」とは言ったものの予定が入ってしまって行けなくなった時に、僕から受ける批判を最小限に抑えたい、つまり責任を負いたくない、という気持ちの表れなのだと思います。
単純に僕と遊びたくなくてはぐらかしてるっていう可能性もありますが(´Д` )
しかしここは僕としてはきちんと責任を負って答えて欲しいところなのです。
「行けるんじゃないかな」ではなく、
「行く」もしくは「行かない」
で答えて欲しいのです。
行く、と言ったのなら他にどんなに魅力的な誘いがあってもGWのうちその日だけは空けておくんです
行かない、と言ったのならたとえその日が全く予定が入らずとも、やっぱり行こうかな、なんて言わないんです
これが、
「自分の発言に責任を持つこと」
だと僕は思います。
「無意識に責任を避けようとする人」は、他人に不安を与え、頼りない印象を与えます
本来負ってくれるはずの責任を転嫁するのですから、相手が不安に思うのは当然でしょう。
人間として成長するにはここは重要なポイントだと僕は思っています٩( 'ω' )و
そういう僕もまだまだなんですけど(´ー`)
僕は個別指導塾で講師のアルバイトをしているのですが、
先日、予定とは違う日に体験授業にきた生徒さんがいました(´Д` )
僕らはバイトなのでそんなこと一切知らされておらず、責任者もあいにく不在でした
このとき僕がその子を見ることになったのですが、一緒に来ていた保護者さんに対する僕の発言がこうでした
「では、あの…えっと僕のシマで、見させていただきますので…」
うーん、頼りない。
実際保護者の方も怪訝そうな顔してました。
「では、お子さんは私のほうで責任を持って見させていただきますので」
って言えたら、あの人も安心してくれたんだろうな…
とか思いました_(┐「ε:)_
次も似たような内容の記事を挙げると思います٩( 'ω' )و
ではまた( ´ ▽ ` )ノ
友達の前で素の自分が出せない方へ!
六月になりましたね( ´ ▽ ` )ノ
古典では六月というと夏の終わりを指しますが、新暦の六月は夏のはじまりという感じでなんだかワクワクしますね(^ω^)
暑そうやけど( ´_ゝ`)
回回回回回回回回回回回回回回回回回
さて、今日のテーマは、
「友達の前で素の自分が出せない」
です。
これもなかなか厄介なテーマですね( ´_ゝ`)
「友達に素の自分が出せない」
これ、原因はなんだと思いますか?
恐らくですね、
「あなたがその友達に本当は心を許していないから」
だと思います。
まぁ言われてみれば当たり前のことかもしれませんが、
これに気づいてない人って結構多いです( ´_ゝ`)
「あれ?なんでこの人の前ではいつもの自分で接することができないんだろう?」
その人を信用、信頼していないからだと思います(⌒-⌒; )
もっとわかりやすく言うと
「自分が何をやっても何を言っても相手は受け容れてくれる」
という信頼感が不足してるんだと思います_(┐「ε:)_
「唐突に下ネタを言っても、何言ってんだお前、とこいつは笑ってくれるだろうな」
みたいな。
僕なんかは会話の中でよく下ネタを挟む系男子です ←(´Д` )
もちろん下ネタが通じなさそうな人には、下ネタ封印して会話しますが、そうなってくるとやはり、
「あれ、普段の俺となんか違うなぁ…」
って思ってしまうんですよね。
しかも「下ネタ言っちゃいけないんだ」と会話に対して弱気になってしまうと、下ネタ以外のことも上手く話せなくなるような気がしますね。
だから僕は下ネタが通じなさそうな人には素が出せなくなる傾向があるようです。
まとめ
友達の前で素の自分が出せない方は、その友達を真に信頼できていないのかもしれません。
大抵の人は、結構突拍子なことを言ったって、案外受け止めてくれます
あなたの友達を信じてあげてください
ではまた( ´ ▽ ` )ノ